「トリエンナーレ」の意味は「3年に一度」。愛知県はこれから3年ごとに、最先端現代アートの大規模なフェスティバルの舞台になる。産業・モノ作りの街から総合的で多面的な文化都市への変貌を目指す新しい挑戦だ。
第1回となる今回は「都市の祝祭 Art and Cities(アートアンドシティーズ)」をテーマに、コアな芸術ファンだけではなく、より多くの地元の人や観光客に親しんでもらえることを目標に、街の中にあるシンボリックなスポットや、日常生活の場所にもアートを出現させる。国内外131組のアーティスト・団体が参加し、作品の多くは新作、または日本初演だ。
主な会場は「愛知芸術文化センター」「名古屋市美術館」「長者町会場」「納屋橋会場」の4箇所。その他、期間中は名古屋城、オアシス21など様々な場所で開催される。まずは各メイン会場から紹介する。
あいちトリエンナーレのシンボルともいえる草間彌生作品「真夜中に咲く花」が展示されている「愛知芸術文化センター」(以下、芸文センター)。まさに現代アートの現状を感じ取れる最新の作品群を見ることができる。
まず芸文センターに入る前に、隣接する「オアシス21」へ行くことをお勧めしたい。水を張ったガラス屋根「水の宇宙船」に草間彌生の作品「命の足跡2010」を見ることができるのだ。
ピンク地に黒の水玉模様でデザインされたひょうたん型の浮島が、太陽の日差しを浴びてぷかぷかと水面に浮いている(上写真左)。浮島の他にも水中には様々な大きさのカーブミラーが沈み、名古屋の青空を映している作品も。テレビ塔も逆さに映り、水底を覗き込むと、はるか下を歩く人の姿もはっきりと見える。映っているもの、見えるものは、普段見慣れているはずなのに、まったく新しいものを見ている感覚にとらわれる作品だ(上写真右)。
芸文センターを10階まで上がり、エレベーターホールを右手に折れると「愛知県美術館」だが、左手を見ると、屋上庭園から館内に入り、吹き抜けに垂れ下がり下の階まで伸びる、巨大なバルーンの作品が目に飛び込んでくる(上写真)。松井紫朗の作品「チャンネル」だ。
美術館の展示スペース「ホワイトキューブ」に入る前に、これほど多彩な作品に出会えるのが「あいちトリエンナーレ」の面白さ。通常の美術展とは違う特別なアート体験ができるフェスティバルだ。そして美術館の中はさらなる現代アートの宝庫。全貌は無理だが、特に印象に残った数点を紹介したい。
上写真左は、ツァイ・グオチャン(中国出身)が火薬を爆発させて描いた絵画。横には制作風景を録画した映像も流されている。作品を見るのと同じくらい時間をかけて映像や、プレートの解説を眺める来場者の様子が、とても印象的だ。現代アートの祭典が行われていると実感する。
上写真右は、ジャン・ホァン(中国出身)の巨大な作品「ヒーローNo.2」。鉄、木、ポリスチレン、そして牛の皮で作られている。大きさと密度に圧倒され、森の中で朽ちた巨木に出会ったような気持ちが湧き上がってくる。
左の写真は、フィロズ・マハムド(バングラデシュ出身)の作品。飛行機の表面を覆っているのは、豆などの穀物。部屋の隅にイントレ(鉄製パイプを使った組み立て式の足場)があり、その上から鑑賞する人も。この写真もイントレの上から撮影したもの。
続いて8階ギャラリーの作品を紹介。写真左は、ヘマ・ウパディヤイ(インド出身)の作品で、タイトルは「左を思え、右を思え、下を思え、狭さを思え」。初めて見た時の印象、そしてタイトルからくる連想…。廊下を歩くことも現代アートによって特別な時間になるのだ。
空間の大きさで驚きを提供する作品もあれば、時間の経過を感じさせてくれる作品もある。幻想的な宮永愛子の作品「結―ゆい―」。舟の中にはナフタリンで象った靴があり、本展期間中に少しずつ形が変わっていく(写真右)。
名古屋市美術館も芸文センター同様、入館前からアートを楽しむことができる。赤いハンモックはエクトール・サモラ(メキシコ出身)のインスタレーション「大胆なレジャー」。「このハンモックで寝てみたい」と言っていた人も。
上写真左は、お香の粉で描かれたオー・インファン(韓国出身)の作品「人と人が出会う場所(名古屋)」。お香が燃えていくにつれ、文字が浮かび上がっていく。風を起こせば粉が動いてしまうという繊細な作品だ。描かれた名前は名古屋に実在するゲイバーをリサーチしたものだという。
1階から2階に伸びている作品は塩田千春の作品「不在との対話」。巨大な白い布にたくさんの赤いチューブが絡んだ美しいインスタレーションだ。チューブには血管のように赤い水が流れている。来場者は1階から見上げ、2階からは見下ろし、作品を隅々まで鑑賞している(上写真右)。
地下1階には、知多郡南知多町の篠島で漁村に密着して制作された島袋道浩の作品群が。一際目を引くこの作品は「篠島で出会った一番大きな男、通称大将の日光写真」。タイトルがすべてを説明しているユーモラスな作品だ。トリエンナーレ観光で名古屋に来た人が、そのまま篠島、そして日間賀島、佐久島と巡って、あの美しい風景に触れてくれることを期待したくなる。
納屋橋は劇団四季新名古屋ミュージカル劇場の横、東陽倉庫が展示会場。光と映像のアートが数多く楽しめる。
写真は、山下麻衣と小林直人の作品「メインストリームを行く」。この作品や、目を閉じたままモノクロとカラーの光を感じる梅田宏明のインスタレーションなど、写真での紹介が難しい作品が豊富。 また、納屋橋は映写機の不調で現在は週末、土曜・日曜の上映となっているヤン・フードン(中国出身)の作品や、1人ずつ約50分かけて見るボリス・シャルマッツ(フランス出身)の作品など「行ったけど、まだ見ていません」という人が多い会場かも。うまくタイミングを合わせて、最先端の映像体験を楽しんでほしい。
早くからトリエンナーレの会場に立候補して精力的に取り組んできた長者町会場は「都市の祝祭」を象徴する場といえる。20を越える建物の壁面や内部、そして野外に展示されたアートが街を彩り、まさに風景を変えている。(写真=ダヴィデ・リヴァルタの作品)
繊維の街の中心だった繊維卸会館の2階では、素朴な畳敷きだった部屋が、まったく新しい空間に変わっている。写真はマスキングテープや泥の植物で覆われた淺井裕介の作品。(写真左)
ビルの壁に描かれた絵に登場しているのは長者町に暮らす人々。ナウィン・ラワンチャイクン(タイ出身)が実際に街に滞在し、たくさんの住人に話を聞きながら作り上げた作品。絵の中には完成を前に故人となった方も描かれている。(写真右)
長者町には夜しか見られない作品もある。ビルの裏手をのぞくと、淡い光に動く影。見ていると絵は描かれていくのではなく、だんだん消えていくことに気がつくはずだ。淺井裕介の映像作品(上写真左)。
ビルの屋上に浮かぶ巨大な数字はケリス・ウィン・エヴァンス(イギリス出身)の作品。表示された「299792458」は光の速度を表す数字とのこと。その情報を知らずに見た人は、この数字から何を読み取るのだろうか(上写真右)。
あいちトリエンナーレの入場チケットがあれば、4箇所の会場間の移動にベロタクシーを使うことができる。猛暑の中の開幕だっただけに利用する来場者が多く、かなりの回転率だった。赤ん坊を抱いてベロタクシーから降りてきた人に乗り心地を聞くと、乗っている最中に子どもが眠ったそうで、道中は快適のようだ(下写真左)。さらに芸文センターと長者町会場の間は、水玉プリウスでの送迎も行われている。乗るより、走っているところを眺めたいマシン(下写真右)。
最先端の現代アートとともに「あいちトリエンナーレ」のもう一つの大きな特徴といえるのは、世界最高峰のパフォーミングアーツ(身体表現による舞台芸術)が毎週のように見られること。上演場所も劇場、街の建物、道端などバラエティに富んでいる。パフォーミングアーツは会場、上演形態により大きく3種類に分けることができる。
(1)愛知芸術文化センター(小ホール・大ホール)
今回、選ばれたパフォーミングアーツの特徴は、演劇、ダンス、音楽、美術などのジャンルを横断した「複合的」な作品であること。劇場公演では身体を中心に言葉、映像等あらゆる要素がぶつかりあう刺激的な8公演が行われる。
オープニングを飾ったのは演出家・平田オリザと大阪大学・石黒浩研究室が制作した人間とロボットの共演「ロボット版『森の奥』」。舞台芸術と科学研究が融合した意欲作だ。この作品を上演可能なのは、まさしく世界でこの組み合わせだけだろう。
(2)愛知芸術文化センター(ギャラリーG)
美術作品の展示場であるギャラリーGでは、美術サイド、ビジュアルアーツの側からの先端的、実験的パフォーマンスを見ることができる。
多くの観客を集めていたラ・リボットのパフォーマンス「Laughing Hole」は、女性たちが笑い続けながら、刺激的な言葉が書かれたダンボールを貼り付け、壁を埋めていく。そのパフォーマンスは12時から18時までの長時間に及んだ。
(3)街中でのパフォーマンス
人々が日常生活を送っている街の中にアート空間を出現させる「都市の祝祭」にふさわしい試み。
「まことクラヴ」のパフォーマンスは芸文センター地下から始まり、栄の地下街へ。買い物客や仕事中の人々の足が次々に止まる。最後は長者町の衣料品卸会社の荷捌き場でフィナーレ。荷捌きをする従業員とパフォーマンスするダンサーの不思議なコラボレーションは見守る人々の笑いを誘った。
パフォーマンス以外にも名古屋の街中では様々なインスタレーションが行われている。
御園小学校の体育館に無数に並ぶのは、すべて本から切り抜かれた花や植物の写真。渡辺英司の作品「名称の庭」。この空間で感じた酩酊感は「花酔い」と呼んでもいいのだろうか(上写真左)。
名城公園では木村崇人が星型の照明から降る光を「星獲り網」で捕まえるインスタレーション「星のこもれ陽プロジェクト」を開催。多くの来場者が集まり、幻想的な遊戯を楽しんだ(上写真右)。
御園小の「名称の庭」は1日のみの予定だったが、現在、芸文センター11階展望回廊の奥に場所を移して展示されている。またロボット演劇で観衆を驚かせた平田オリザと大阪大学・石黒研究室は9月30日に、外見がより人間に近い「ガイノイド」を加えた完全新作アンドロイド演劇「さようなら」の世界初演を緊急決定した。
どちらも当初の計画にはなかったもので、この臨機応変で即興的な企画の発生の仕方も本展の非常に面白い特徴だろう。
「キッズトリエンナーレ」は本展に合わせて開催されている子どものためのアートのお祭り。芸文センター8階にある「デンスタジオ」では、子どもたちが自由に創作したり、アーティストと一緒に作品を作ることができる。
入場およびプログラムへの参加は無料。スタジオ内にはクレヨン、色紙、ダンボールなど多くの素材が揃えられていて、自由に使うことができる。親子連れの来場者はこちらをメインに訪れてもいいくらい、充実した時間が過ごせるはず。子どもたちは、世界最先端の現代アートよりも思い出に残る作品を、自らの手で作れるかも。
トリエンナーレの出展作品の数々には確かに驚かされた。それでも街をゆくすべての人々がトリエンナーレのみを楽しんでいるわけではない。トリエンナーレが始まった8月後半は、芸術の秋と言うには、まだまだ暑い季節。芸文センター前のオアシス21は、お化け屋敷や夏野菜の販売等、夏らしいイベントで盛況だった。街に集まった人々はこうしたイベントとともに、水の宇宙船のアートも眺め、トリエンナーレを選択肢の一つとして楽しんでいた。
広範囲に点在する会場と長い開催期間。大きなイベントが毎週のように起こる名古屋で、10月31日の閉幕の日まで「あいちトリエンナーレ」が常にニュースのトップ項目にあり続けるのは難しいだろう。忙しい名古屋の風景にアートがふいに現れることで、人々の日常の見方が変わる。それがトリエンナーレの意味ではないだろうか。
折りしも、開幕初日には芸文センターと長者町会場の近くで「広小路まつり」が開かれていたが、そこにトリエンナーレPR隊が浴衣姿で現れた。祭りのハレの場にさらに鮮やかな四角い顔が参加し、踊り出す。祭を見物に訪れた人々が笑顔でPR隊の写真を撮り、トリエンナーレの話題を始めたのは象徴的なシーンだ。
新潟県の「越後妻有大地の芸術祭」や開催中の「瀬戸内国際芸術祭」は来場者の多くが自らアートを鑑賞しにいく「観光型」芸術祭で、地域の協力体勢はパワフルなものがある。「あいちトリエンナーレ」は「都市型」芸術祭であり比較は簡単ではない。アートファンと仕事中の人が雑多に行き交う名古屋の風景を見て、都市型の芸術祭が成功するために不可欠な要素は、勢いやイベント力よりも、その都市の文化的成熟度の高さだと感じた。「あいちトリエンナーレ2010」が名古屋に住む人々、名古屋を訪れた人々に何をもたらすのか、注目したい。
プロフィール/竹本真哉 フリーライター。元「名古屋タイムズ」芸能文化部記者。