東海地区唯一の寄席「大須演芸場」。東西の演芸家と地元芸人が集う場として、今も昔も名古屋に笑いを届け続けている。一度は閉館に追い込まれたものの、一般社団法人大須演芸場が運営を引継いだことで復活。ところが近年、新型コロナ禍の影響による休館で再び危機が到来した。寄付の募集やクラウドファンディングでの支援の呼びかけで資金を集めたものの、いまだ感染収束の見通しが立たない状況。現在はどのように奮闘し、演芸の灯を守っているのか。法人の理事で、広報を担当する橋本浩宗さんに大須演芸場の歩みと「今」を聞いた。
大須演芸場が開館したのは1965(昭和40)年のこと。数々の大御所芸人も、駆け出し時代にこの舞台で芸を披露してきた。開館当時は大盛況だったというが、やがて経営難によって賃料の滞納が続き、2014(平成26)年には建物明け渡しの強制執行を受けてやむなく閉館。名古屋の寄席の歴史が途絶えたかと思われたとき、手を挙げたのが、名古屋青年会議所の会員を中心としたメンバーだった。閉館の翌年には一般社団法人大須演芸場を設立。ボランティア団体として大須演芸場を再オープンさせた。
橋本さんも、青年会議所の仲間に誘われて理事を引き受けた一人だ。本業は広告代理店の社長。そのノウハウを生かし、大須演芸場の広報全般を担当している。橋本さん個人としては当初、大須演芸場に特別な思い入れがあったわけではなかったという。「落語に詳しいわけでも、演芸場によく通っていたわけでもなかった。ただ、携わるに当たって演芸場の歴史を調べたり、閉館前の時代を知っている方々に話を聞いたりしているうちに、いかに貴重な場所なのかを実感した。これは名古屋にとって、とんでもない財産だと」。
青年会議所で長年まちづくりに関わり、名古屋らしさや歴史文化に対する素養があったからこそ、大須演芸場の必要性も理解できた。橋本さんは「名古屋で大須演芸場の代わりは他にない。幾多の物語が生まれた歴史や、ちょうちんがズラリと並ぶ独特な雰囲気はオンリーワン。日本の伝統話芸を継承する場所として、名古屋に残さなければならない」と力を込める。
他の理事・監事メンバーも、会社経営者・弁護士・公認会計士など、さまざまな業界のプロフェッショナルたち。それでもなお、再開に向けた活動には苦心した。「寄席を運営したことがある人なんて誰もいない。料理人じゃないのにレストランを始めたようなもの。周囲からは『どうせできないだろう』という目で見られているのを感じていた。ところが、海老名香葉子さんの存在によって事態は好転した」
2015(平成27)年6月、初代林家三平の妻で、現在まで一門の中心として活動する海老名香葉子さんが大須演芸場の最高顧問に就任。「理事メンバーの実家が東京の芸能プロダクションを経営していることから海老名さんとはお付き合いがあり、引き受けていただけることになった。古典芸能のしきたりや運営のアドバイスなど、海老名さんにはたくさんのことを教わった」。海老名さんの協力により、大須演芸場を離れていた芸人にも認められるように。こうして同年9月に、こけら落とし公演を迎え、営業を再開した。
「その後、海老名さんには5年間にわたってお世話になったが、『(私は)高齢だし、あなたたちだけでもうやっていけるわよね』と、助言の必要もなくなったという理由で最高顧問を退任された」と橋本さん。
「新生・大須演芸場」として軌道に乗ったように見えたが、一方でこのころには新型コロナウイルス感染拡大によって日本中に暗い影が落ち始めていた。2020年には3月~9月の定席を休席。イベント自粛要請によって貸席でのイベント利用も難しく、収入源が確保できない期間が続いた。
同年4月からはホームページ上で500万円の寄付を呼びかけた。新聞・テレビなどのメディアで取り上げられたことで、目標額を上回る計1,000万円ほどが寄せられたという。「大変ありがたいことに、何人かの芸人さんたちも寄付をしてくれた。この場所が無くなったら一番困るのは、舞台に立つ彼ら。だからこそ、出演機会が減った苦しい状況の中でも力になってくれたのだと思う」
定席再開後も、公演期間短縮や来場者数の減少など、経営の維持安定が困難な状況には変わりない。束の間の緊急事態宣言解除をされたところで、客足はそれほど戻らなかった。「大須演芸場のお客さまの多くは60代以上。万が一感染したら命に関わるため、高齢者は若者以上に外出には慎重になっていた」
2021年7月~9月にはまたも定席を休席することに。代替企画として、第1土曜・日曜に地元芸人が日替わりで数組出演する「大須土日寄席~コロナに負けるな名古屋~」を開催。大須演芸場レギュラー出演者によるチームワークに長(た)けた寄席は、定例寄席とは違った面白さがあると評判を得た。
今後も大須演芸場という唯一無二の場所を残していくため、昨年9月にはクラウドファンディングに挑戦。定席寄席の運営、施設の修繕や維持管理費などに充てる資金を募った。「2020年の寄付呼びかけで支援してくださったのは、高齢世代のお客さまや企業がほとんど。もっと若者世代にも呼びかけるため、クラウドファンディングという方法を選んだ」。定席招待券や木札・赤ちょうちん・のぼり・白テントへの名入れなどのリターンを設け、集まった支援金は700万円弱。
同年10月には定席を再開したが、今後の資金繰りについて、橋本さんは「一時的には何とかなるが、コロナが収まらない以上、長期的な目で見るとまだ安心できない」と話す。社会情勢を踏まえ、広報にも慎重になっている。コロナ前は観光バスで来場する団体客が一定数いたが、しばらく団体の予約は見込めない。感染防止策として場内での食事を禁止しているため、収入の一助となっていた弁当の販売も行えない。その一方で、除菌用機械などの購入費の支出や全席への消毒などによる作業負担は増えている。
定席の集客数は、新型コロナ流行前の2018年2月で1日当たり約200人だったところ、2021年・2022年は同じ月で1日当たり60人台にとどまった。「通常時の集客はまだまだ伸びないが、襲名披露興行では120人を動員したこともあった。最近になって、貸席のイベント利用は増えてきた。クラウドファンディングのリターンで招待券をお渡しした方々も、そろそろ定席を見に来ていただければ」
橋本さんら法人のメンバーが関わり始めた当初から、寄席の興行を続けて大須演芸場の「格」を守るという決意は変わらない。「定席の寄席が打てる小屋は全国に10カ所もない。寄席をやめて貸席だけを行うホールとして残すだけでは、伝統話芸の発信基地の役割を果たせない。時代に合わせて形は変わるかもしれないが、東海地区唯一の寄席である大須演芸場というブランドを未来につないでいく使命がある」
現在、定席は毎月1~7日に開催している。「まずは、寄席の連続興行を欠かさず、今後も小屋を開け続けていきたい」と熱意を見せる橋本さん。演芸の灯が、これからも名古屋を明るく照らしてくれることを願う。